2019
29
Nov

礼文島での日々

♯26生きているうちに

※注意

このブログには、人が亡くなる最期の場面の描写や、死生観を扱う内容が含まれています。また僕個人の意見であるということを、ご理解の上お読みください。







僕は大学卒業後、看護師として新卒でとある急性期病院で働いていました。




勤めていたのは、簡単に説明すると、

「食べたものがうんちとなって身体の外にでるための臓器」

に関する病棟で働いていました。



例えば

「肝臓という体にたまった毒を溶かしてくれる臓器」に病気を抱えた人や

「食べたものを体を動かすエネルギーに変える腸という臓器」の病気の人。




いろんな病を抱えた人と出会いましたが、

一番多かったのは、癌を抱えた人でした。




それこそ、初期の検査でくる人から、末期で予後数ヶ月の人まで。

人が亡くなる場面にも何度も遭遇しました。





そんな人たちが、入院生活を少しでも楽に過ごしてもらえるように、

日常生活のサポートをしたり。

その人の治療が少しでもスムーズに進められるように、

お医者さんと相談しながら、薬や点滴などの投与、治療のサポートをしたり。


たくさんの会話をしながら、その人が病を抱え、

今後の人生をどう生きていくのか、一緒に悩んで考えたり。



そんな仕事をしていました。




今回は、そんな看護師生活を通して考えたことや、

看護師をやめた今、改めて想うことをまとめていきます。






かなり話が長くなるので、目次を作りました。


①20代の若さで亡くなったAさんとの出会い

②孫に囲まれて往生したBさんとの出会い

③看護師を辞めた今改めて思うこと

④ひさみつはやりたいことをやれている?

⑤生きているうちに





本当にたくさんの方との出会いがあったのですが、今回は特に印象に残っている2人についてご紹介します。なおプライバシーの保護のため、情報を一部変更している描写もありますが、ご了承ください。

また全て僕自身が体験したことではなく、他の看護師や先輩看護師の話を後から聞いて、感じた内容も含まれております。


Aさんとの出会い。

Aさんは20代後半の女性でした。

旦那さんと2人で生活していました。


ネイルが好きで、いつも綺麗なネイルをしては、

僕たち看護師に見せてくれていました。





そんな彼女は、あるときからご飯が食べられなくなったり、

胃がムカムカしたりして、気になって病院を受診。

精査を重ねた結果、膵臓(すいぞう)という臓器に癌がみつかりました。

膵臓とは、「君の膵臓を食べたい」で話題にもなりましたが、食べたものを消化するための消化液を分泌したり、血糖を下げるインスリンを分泌したりします。


胃の後ろにあるため、

健康診断でもなかなか病気が見つかりにくいのが、

この膵臓の特徴。


この臓器に癌ができてしまうと、

治りにくく、そのまま亡くなってしまうこともあります。



すぐに癌を小さくするために、

放射線と抗癌剤の治療が開始されました。



しかしAさんの癌は進行していて、

日に日に体は衰えていきました。






元々スマートだった身体は、痩せて細く。





一人で歩くこともできなくなり、

トイレにいくのもお手伝いが必要になりました。







旦那さんは自分の仕事が忙しい中で、

毎日仕事終わりには面会に来てくれて、

細くなったAさんの手をずっと握っていました。





そして治療が開始されて3ヶ月。





Aさんは息を引き取りました。





実際にその場にいた先輩看護師によると

旦那さんはAさんが亡くなる前に


「ありがとう。よくがんばったな。Aがいてくれて、俺は本当に幸せだったよ。」


そう言って、Aさんのおでこに、優しくキスをしたそうです。







Aさんと一番仲が良かった先輩看護師を中心に、Aさんのエンゼルケア(ご遺体を綺麗に拭いたり、化粧や着物を来たりと、死後の処置全般のこと)が行われました。


綺麗な化粧をして、お着物を着て。

Aさんが好きだったネイルをして。





僕がケアの後にAさんに会いに行くと

まるでベッドに横たわって眠っているようでした。







お見送りをしたあと、僕はAさんの病室にいきました。


空になったベッド。誰もいない病室。


つい今朝までAさんが寝ていた。その心臓は確かに動いていて、鼓動を刻んでいた。付き添いの旦那さんがAさんの手を握ったまま寝ていた。







その瞬間に抱いた感情を、僕は生涯忘れることはないと思います。



「Aさんは今、どこにいるんだろう?」


数時間前まで生きていたAさんが、

今この世のどこにもいないという事実に、途轍もない違和感を感じました。



Aさん。





若くてネイルやオシャレが好きで、綺麗な女性だった。



小柄な体格で、ちょっとアニメ声が入った彼女の言葉が好きだった。

旦那さんと一緒で幸せそうだった。

癌にならなければ、もしかしたら新しい家族が増えていたかもしれない。

小さな命を紡いで、その成長を旦那さんと見守るような未来が、彼女にはあったのかもしれない。

おばあちゃんになって、孫の成長を楽しみに笑ってる未来があったかもしれない。

だけどAさんはもう、どこにもいない。






空室になった病室に、冷たい風が吹き込んでいました。








Bさんとの出会い


Bさんは90歳代のおじいちゃんでした。




「大腸という、食べ物の残りカスから水分を吸収して、うんちを作る臓器」にできた癌が、体のいろいろな場所に広がり、後数日生きられるかどうかという状況でした。




お寺の殉職さんだったBさんは、僕たちスタッフにも丁寧に接してくれる姿が印象的でした。






点滴を変えたり、体を綺麗にするのを手伝ったり。


そんな時に「ありがとうございます」と深々を頭を下げてくれる姿をよく覚えています。




看護師に対しても、家族に対しても礼儀正しく、丁寧なBさんの病室には、家族や親戚、お孫さん。毎日たくさんの人が集まっていました。






そんなBさんが亡くなった時、病室ではたくさんの人が泣いていました。





Bさんの体をタオルで綺麗にする時、小さなお孫さんが、泣きながら「おじいちゃんバイバイ」といって、一生懸命Bさんの身体を綺麗にしていました。




Bさんは亡くなってしまったけれど。その命は確かに下の世代に受け継がれていることを感じました。


③看護師を辞めて改めて思うこと




この場を借りてになりますが、看護師時代に僕と関わってくれた方々にお礼を言わせてください。




たった2年しか働くことはできなかったけれど、尊敬できる先輩に恵まれて、本当に感謝しています。





患者さん一人一人と向き合い、病気だけでなく、その人の人生そのものをみて看護をする。先輩たちの姿勢から大切なことをたくさん勉強しました。



僕は看護師を辞めてから、医療と関係ない仕事をしている人たちとたくさん出会いました。



代々続く漁師の仕事をしているおじいさん。

漁師を辞めて民宿を経営している家族。

礼文島で唯一のお菓子屋さんを営むおじいさん。


いろんな人と関わる中で、

改めて考えたこと。





この世に患者さんなんて存在しないんだ。




みんな普通に生きて、生活している、普通の人なんだ。




僕だって。今これを読んでいるあなただって。


いつ病気になるかわからない。


この先もずっと健康でいられる保証なんてどこにもない。と。




患者さんの人生を看る。人生に寄りそう。



看護師時代に教わったことは、看護師から離れている今でも、

僕の生き方に大きく影響を与えています。

④ひさみつは「やりたいこと」をやれている?

最近よく、TwitterやInstagramのDMで、


「写真が楽しそうでいつもみているよー」とか

お褒めの言葉をいただくのですが

一番多いのが、


「ひさみつはやりたいことをやれていていいよね」



なんですよね。





確かに、看護師を辞めてカメラマンになったり。



礼文島という離島に移住したり。



端からみれば自由に生きているように見えるのかもしれません。





ただそれは、看護師という仕事を通して、




「自分の命がいつか無くなる瞬間」が

絶対にくるという事実を知り。


「人が亡くなっても世界は何事もなく回り続ける」ことや、


「自分の周りの人ともいつか別れの時がくる」ということを


強く意識しているからだと思います。



だから僕は、自分の周りにいてくれる大切な人との時間を大事にしようを思っています。



余裕がない時もあるけれど



「もしかしたらこれが人生最期の別れの時かもしれない」とはよく考えます。




誰かと話す時も、

「伝えたいことを伝えられているか、この言葉を送って後悔しないか」と考えるようにしています。






⑤人生会議



僕は両親ともよくそんな話をします。



というか、僕の両親は自分からそんな話をガンガンします。


「私ら、あんたらに迷惑かけないようにコロッと逝くからよろしく♫」

「自分の荷物も最小限にして、家とか負担になるものは残さないようにするね☆」

「絶対延命すんなよ!したら末代まで呪うからな!」





っておいやめろよおおおおお!😭

そんな縁起でもない話をするなよおおおおおお!!😭



と息子である僕に怒られるくらい話をしてきます。






とまあそんな両親を持ち、看護師の経験もあることから、

「死を避ける」意識が僕の中にはあまりないです。










ただ、今回この記事を公開しようか、自分の中ではとても悩んだ部分で、記事自体は3日前に書いたものです。








人の死をテーマにお話することで、誰かを悲しい気持ちにさせてしまうのではないか、それを想像するのが一番怖かったです。







でも、この記事を読んでくれた人が、大切な人や自分自身の「終わり」のときのことを、少しでも考える。親や大切な人と話合うことができるような。




そんなきっかけに少しでもなればと思い、記事を書きました。






ただ、これだけ両親に「延命しないで」と事前に言われていても、


いざその時が来たら、僕はその判断をできるだろうか。



事前に本人が「自分がなくなる時はこうしてほしい」という意思を残していても(これをリビングウィルといいます)、残された家族がそうでない選択を希望してしまうことはよくあります。




だっていなくなって欲しくないから。



僕だって両親が大好きだし、いなくなって欲しくないし、いつまでも生きていて欲しい。




だけどその選択で大好きな両親を苦しめてしまうのではないか?









そんなとてつもない葛藤を、きっと数十年後くらいに味わうことになる。

そんな選択を迫られる時がきっとくるんだろうなあ。

あー想像したくない笑

と遠い未来に思いを馳せたりしています。

(そうなったら、もう一度この記事を自分で読んでみようと思います)



だからこそ、元気なうちに、

自分の人生や自身が望む医療やケアについて考えて、大切な人や医療スタッフと話し合い、共有する仕組みをつくっていくこと。



これを人生会議といいます

別名ACP(Advance Care Planning)



大好きな人だからこそ。大切な人だからこそ。



その人も、そして自分も、

いつか必ず終わりを迎えるということを自覚して。



「終わりの時」を敗北やネガティブなものをとして考えてしまうと、

人間は最期は必ず敗けて終わることになってしまいます。





そうではない捉え方ができれば、


その時まで自分はどう生きていきたいのか

と考えるきっかけになるのではないでしょうか。









今というかけがえのない瞬間。

大切なひとと過ごせる幸せな時間。

大切な人がそばにいてくれるの当たり前じゃない。


だからその人が生きている証を残したい。





僕は今カメラマンとして、

そんな気持ちで、大切な人の写真を残しています。






死ぬ前に後悔しないように。

やりたいことを全てやったと胸を張ってこの世を去れるように。










そんな人生を歩んでいきたいなあ。







 

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